任天堂 岩田聡社長の弔辞

山内溥氏の告別式で読まれた
任天堂 岩田聡社長の弔辞の一部を文章に起こしてみました。
 
 
…それから53年間のあいだ、山内さんは任天堂の社長として
任天堂を大きく発展させることに。
そしてビデオゲーム文化を世界に普及させて
世の中に笑顔を増やすことに大きな貢献をされました。
 
実際、山内さんが若いときには多くの失敗をしたとお聞きしたことがあります。
数多くの失敗と小さな成功を繰り返しながら
任天堂自身はカードゲームの会社から玩具の会社に変身し、
さらに電子玩具の会社に変身し、そしてゲーム&ウォッチなどの電子ゲームの会社に変身し、
そしてさらにファミコンの誕生によってビデオゲームの会社に変身してきました。
任天堂の歴史は任天堂自身の変身の歴史でもあります。
 
また、まだ世の中に選択と集中という言葉が無かった時代に
ゲームセンターに設置する業務用ゲームから全面撤退し
全ての製品開発能力を家庭用ゲームに集中するという、当時では大変大胆な判断をなさいました。
今なら任天堂にとって妥当な判断だったと多くの方が感じられるでしょうが、
この英断による集中が無ければ、きっと今の任天堂は無いでしょう。
 
そして、これらの過程を通じて娯楽は他と違うことをするからこそ
価値があるという独創の精神が確立されていったのだと思います。
同時に良いことも結果につながらなかった事も多く経験されたので、
失意泰然、得意淡然という言葉を大切にされてきたのでしょう。
そして山内さんは家庭用ビデオゲーム産業の父と呼ばれる存在となり
任天堂を世界に知られるビデオゲームのブランドにされました。
 
今のビデオゲーム業界は山内さん無くしては、このような姿をしていないはずですし、
そのことは任天堂の社員だけでは無く、この業界で働く沢山の人々に。
そして世界中のビデオゲームのファンのみなさんに感じていただいていると実感しています。
山内さんのご逝去に対しては世界中からお悔やみのメッセージを頂きましたが、
その多くが、この業界を作ってくれてありがとう。
ビデオゲームというすばらしい娯楽との出会いを作ってくれてありがとう。
というものでした。
 
山内さん、これこそが山内さんが人生を掛けて成し遂げられたことです。
また個人としても日本人で初めてメジャーリーグ球団の筆頭オーナーになられ
イチロー選手を始めとして多くの日本人プレイヤーがメジャーリーグで活躍するきっかけを作られたり、
京都大学に研究と治療に生かして欲しいと私財を70億円以上投じて
病棟を寄付されたり本当にスケールの大きいことをされる方でした。
 
山内さんは仕事に対する妥協の無い厳しい姿勢。
その鋭い眼光と大胆な決断力と御発言。
そして公の場で、まず笑顔を見せることが無いということが相まって、
怖い人としてのイメージが定着していたようです。

社外の人どころか社員でさえ笑顔を見たことが無いという人がいるほどです。
でも、あえてお別れする前に皆さんにもお伝えしたいです。
山内さんの笑顔は最高に魅力的でした。
滅多なことでは褒めてくださる方ではありませんでしたが、
まれに、こちらの報告に笑顔で答えてくださった時は本当に嬉しく感じ、
どんな苦労も吹き飛んで力が湧いてきたことを覚えています。
 
社長在任中、きっとこうやって私たちの能力以上の物を引き出してくださっていたんだと、
今になってようやく分かります。
私たちは一緒に働くことで多くのことを学びました。
一緒に働くことで、きっと他では経験できないような充実した時を過ごすことが出来ました。
 
そして引退後、本当にキッパリと身を引かれました。
現役の経営陣に言いたいことも沢山おありだったでしょうけれども、見守ってくださいました。
山内さん、本当に長い間ありがとうございました。

山内さんの大切にしてきた娯楽の本質と、本質を見失うことなく同時に山内さんがされてきたように、
これからも環境に合わせて柔軟に変化する任天堂で有り続けることをここにお誓いし、
お別れの言葉とさせていただきます。
 
合掌。